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高松高等裁判所 平成2年(お)1号 決定

主文

本件について再審を開始する。

理由

第一  事件発生から再審請求に至るまでの経緯の概要

一  昭和二一年八月二一日午前二時頃、二人組の男が香川県仲多度郡榎井村(現琴平町)のD方邸内に侵入し、同人を拳銃で射殺して逃走するという事件が発生した(以下「榎井事件」という。)。その犯行現場には犯人が使用した拳銃から発射された弾丸・薬莢が遺留され、また、現場近くには犯人が遺留したものとされるパナマ帽と短刀の鞘が残されていた。D方の前(南)には東西に通じている小道があり、その南側には高松地方専売局坂出出張所琴平煙草配給所(以下「琴平専売局」という。)があつた。そして、D方の西側には畑があり、その西方には右小道に沿つてE子方があつた。なお、右犯行については、同月二八日までに、四国新聞が、香川県刑事課において容疑者として指名手配していた二一歳と一九歳の男が検挙された旨報道し、琴平警察署が、一八歳と四十四、五歳の男が捜査視線内にあるところ同人らが所在不明となつたとして手配しているが、警察は、結局、これらの男を犯人とはみなかつた。

二  請求人(当時満一八歳)は、榎井事件の前後にわたり、

1  B(当時満一九歳。)ら三名と共謀の上、昭和二一年五月一五日午後一〇時頃、高松市朝日町高松地方専売局(以下「高松専売局」という。)に侵入し、同所の製品木箱詰工場内において、同局保管の金鵄煙草三万二四〇〇本入木箱一箱を窃取した。

2  同年七月三一日頃、正当の事由がないのに、大阪駅前において、Fと共同して朝鮮人から十四年式拳銃二丁と実包八〇発を買い受け、これを高松市内まで携帯した上、そのうち一丁を同年八月二〇日頃まで同市松島町の自宅に隠匿所持した。

3  Bら四名と共謀の上、同年八月一八日午後一一時頃、高松市松島町岩瀬練乳高松工場倉庫において、G所有の練乳一斗缶入四缶を窃取した。

4(一)  Bら五名と共謀の上、同年八月二八日午後九時過ぎ、煙草窃取の目的で高松専売局裏側土塀を乗り越えて構内に侵入した。

(二)  その際、職務のためではなく、地方長官の許可も受けないで、十四年式拳銃一丁を携帯所持した。

という事件を起こしており、また、Bは、右1、3及び4(一)のほか、請求人以外の他の者らと共謀の上、同年六月一〇日及び七月二九日の二回にわたり、高松専売局に侵入して右同様の煙草入木箱合計一二箱を窃取するという事件を起こしていた(請求人及びBがそれぞれ起こしたこれらの事件を以下「窃取等事件」という。)。右4(一)の犯行はその現場で警備員に発見され、請求人ら犯人は逃走したが、間もなく、請求人が検問にひつかかり、その際、拳銃を所持していたことを見つけられて、4(二)の犯行も発覚し、請求人は当時の行政執行法に基づく行政検束として高松警察署に身柄を拘束され、請求人の供述により4(一)の犯行に関与していることが発覚したBも、同年八月三〇日同様に身柄を拘束された。

三  右身柄拘束後の請求人及びBに対する取調べは、当時の高松警察署司法主任警部補C(昭和二一年一〇月一五日香川県警察部刑事課強行犯主任に配置換。以下「C警部補」という。)が中心となつて行われたが、請求人及びBは、それぞれの窃盗等事件のすべてを素直に自白し、これについての取調べは間もなく終わつた。しかし、C警部補は、窃盗等事件の内容、特に、高松専売局から多量の煙草を窃取し、更に煙草を窃取するため拳銃を持つて同専売局に侵入していること、榎井事件の犯行態様やその現場の隣に琴平専売局があることなどを総合して、「請求人及びBは、琴平専売局へ煙草を盗みに行つたが、警戒が厳重であつて直ちに侵入できなかつたため、隣のD方に入つて潮待ちをしていたところ、Dに発見されたので、射殺して逃走したのであろう。」と推測し、請求人及びBが榎井事件の犯人であるという嫌疑が極めて濃厚であると考え、引き続き身柄を拘束したまま請求人及びBを取り調べて、榎井事件について追及した。これに対し、請求人は、終始一貫して一切身に覚えがないことであると主張し積極的に否認したが、Bは、否認を続けていたけれども、身柄を拘束されて四か月余り後の昭和二二年一月上旬頃、自白するに至つた。その自白は、要するに、「請求人に誘われて琴平専売局へ煙草を盗みに二人で行つたが、警戒が厳重で入れず、請求人が、煙草を盗んでもそれを運ぶ車はないし、この家にでも入らないかと言つたので、賛成して被害者方の庭へ入つた。被害者に発見されたため、逃げようとして門の戸を開けて外に飛び出した。その途端、拳銃の大きな音が聞こえた。請求人が威嚇発射したと思つた。現場近くに遺留されていたという証第五号のパナマ帽は請求人のものに相違ないと思う。」というものであつた。

四  請求人及びBは、榎井事件(Bは住居侵入のみ。)とそれぞれの窃盗等事件について、昭和二二年一月三〇日勾留された上、同年二月七日予審に付され、同年五月二日公判に付された。請求人は、予審、公判においても、榎井事件については積極的に否認を続け、また、Bは、検事の取調べから予審を経て第一回公判までは榎井事件についての自白を維持したが、その後の公判からこれを覆し、全面否認に転じた。しかし、高松地方裁判所は、窃盗等事件のみでなく榎井事件についても請求人及びBは有罪であると認定して、同年一二月二四日、請求人を無期懲役に処し、Bを懲役六年に処するとの判決を宣告した。請求人は控訴したが(Bは控訴しなかつた。)、高松高等裁判所は、第一審と同様に認定して、昭和二三年一一月九日、請求人を懲役一五年に処するとの判決を宣告した。同判決が認定した榎井事件に関する事実は、「<1>請求人は、Bと共謀の上、窃盗の目的で、昭和二一年八月二一日午前二時頃、香川県仲多度郡《番地略》D方の表門の閂を外して邸内に侵入した、<2>そのとき、同家前道路を通る人の足音が聞こえたので請求人とBは母屋西側の納屋の庇あたりに蹲んでかくれたが、夜回りの注意に門を閉めに出た右Dが請求人らを発見して、鍬を振りかむり追つて来たので、請求人は、咄嗟にDを殺して逃げるほかはないと決意し、同家表庭で所携の拳銃で同人を狙撃し、その心臓部を射抜いてその場に即死させた。」というものであつた。請求人は、更に上告して榎井事件につき無罪を主張したが、最高裁判所第一小法廷は、昭和二四年四月二八日、上告棄却の判決を宣告し、右控訴審判決(以下「確定判決」という。)が確定するに至つた。なお、右の第一審、控訴審及び上告審を通じ、弁護士E’が請求人の弁護人を務めた。

五  請求人は、服役中の昭和二六年頃、榎井事件については無実であるから将来の再審のために本件刑事確定訴訟記録を保存されたい旨申し出た上、昭和三〇年五月仮出獄してから、再審請求に備えて事件関係者及び当時の捜査官の所在を探すなどの調査活動を進めた。ところが、右申出にもかかわらず、本件刑事確定訴訟記録は、昭和三七年六月五日、各審級の判決書を除き、すべて廃棄された。請求人は、なおも調査活動を続けているうち、昭和三九年に至つてようやくBの所在が判明したので、同人を訪ねたところ、同人は、請求人に対し、虚偽の自白をしたため請求人を無実の罪に陥れたとして謝罪した上、今後の再審につき協力する旨約束し、詫び状を交付した。その後、請求人は、E’弁護士らに再審請求を依頼したが、当時は一般に再審は開かずの門と言われ再審開始の決定を得ることが極めて困難であるとみられていたため、引き受けてもらえず、請求人の再審請求は実現しなかつた。しかし、請求人は、再審への熱意を持ち続け、調査検討を重ねているうち、弁護士から教示されて、昭和六一年、香川県弁護士会及び愛媛弁護士会に人権救済の申立てをした。これに対し、両弁護士会の各人権擁護委員会は、約三年にわたつて調査した結果、共同で請求人の救済に当たることを決定した。また、その後、日本弁護士連合会人権擁護委員会においても、調査の結果、請求人の再審請求を支援することを決定し、同連合会理事会もこれを承認した。

このような経過を経て、平成二年三月一九日、当裁判所に本件再審請求がなされ、なお、その後間もなく、四国弁護士会連合会においても、これを支援することを決定した。

(以上の事実は、各審級の判決書その他当請求審で取り調べた関係証拠により、明らかである。)

第二  榎井事件の証拠関係

一  証拠の概要

前記のとおり、本件刑事確定訴訟記録は、各審級の判決書を除き、廃棄されて現存していないため、榎井事件につき取り調べられた証拠自体を閲覧検討することはできないが、本件が旧刑事訴訟法(大正一一年法律七五号、以下「旧刑訴法」という。)当時の事件であることから、確定判決には、同法三六〇条一項の規定による証拠説明として、有罪確定の用に供した証拠の標目だけでなくその内容もかなり詳細に記載されており、第一審判決にも同様の証拠説明が記載されている上、両判決では何ら触れられていないけれども、上告審判決に添付されているE’弁護士の上告趣意書及び請求人の上告趣意書の要旨を記載した書面から請求人に有利な証拠(反証)が少なからず存在したことが窺われるので、これらにより、榎井事件につき第一審及び控訴審において取り調べられた証拠の概要を知ることができる。それは次のとおりである。

1  確定判決が掲げている有罪認定の証拠

確定判決が、次の(一)ないし(一六)の証拠を掲げ、これらを総合して榎井事件に関する前記事実を認めるとしている。

(一) Bに対する予審判事の強制処分における訊問調書中の次の供述記載

私はAと昭和十七年頃高松市の四国ドックで一緒に働いて居た頃から親しくなつたが、昭和二十一年八月二十日頃の午後六時頃、Aが私方へ来て「ヒラノバイセンにモヤがあるから取りに行かぬか、二、三日前にケンジて来た」と言うたので私もその気になり早速二人で出かけた。私は黒のカッターシャツに紺のニッカーズボンを着け、白ズックの靴を履き、Aは白の半袖シャツに黄茶の半ズボンを着け、白ズック靴を履き白の真新しいパナマ帽を冠つていた。私は自宅から匕首を一本取り出しバンドの内側に差込んで出た。瓦町から電車で八時頃琴平に着き遊廓の入口で店の閉まるまで遊んで時間待ちしようと別々に素見して歩き、十二時過警察署の橋(当裁判所注・これは「警察署の側の橋」であると思われる。)で落合い新街道から東に向い国民学校の少し東から北に折れ旧街道を横切つて二時頃専売局東側に出た。ところが同局の表には電灯が明るく警戒が厳重らしい気配だつたので、これは駄目だと思い北側に回つたりブラブラして更に引返して来た。その時Aは煙草を盗つても車はなし此家にでも入ろうかと言うので私は賛成した。それは丁度倉庫(当裁判所注・これは、第一審判決の記載等に照らし、「専売局の倉庫」であると思われる。)の北側に農家らしい構えの家であつて道に面した方の生垣に出入の観音開きの門があつたが、私達はその家に入つて、こつそり金品を盗んで来る心算だつた。そこで二人で入り、二人並んでかなり広い庭を母屋の方へ歩いていると、表の東の道から足音が聞こえた来たので、母屋の前の西に抜けこれと西側の納屋の庇下の丸太木を沢山積んであつた横納屋口から一間程入つて蹲つてかくれていた。すると夜回りらしい男が母屋の外から表戸が開いて居るが泥棒でも入るといかんから閉めなさいと言う意味のことを申し、私達もその声で此家がDだと言うことを知つたが、間もなく主人らしい男が出て門を閉めに行くのが足音で判つた。つづいて下駄履きの女らしい足音が母屋の表を東へ行きすぐ引返して来たが、人影も見えず話声も聞こえなかつた私達はオッサンが家へ入つたら逃げんかと相談していた。すると突然その男が私達のかくれている露地の軒下の辺迄来て、鍬の様なものを提げて「コラ、盗人出て来い」と大声で怒鳴りつけたので、Aが先にパット飛び出し逃げ掛つたが、男はすぐ鍬を振り冠つたのでAはその手前に棒立ちになり二人向い合つて一間位の間隔で立つて居た。私はあわてて走り出したが、二人向い合つて立つている隙にその西側を南に回り一目散に門へ走つた。Aは何とか切り抜けて逃げて来るものと思い、その男のことはAに任せて置いて逃げた。Aはしつかりしているので相手が鍬を振り回しても、何とか捌いて逃げ捕えられる様なことはないと思つた。それから私は門に体当たりをやつたが、開かないので見ると会せ目の付近を縄で縛つてあつたので、匕首を取出し縄を切り戸を開けて飛び出した。そのとたん拳銃の大きな音が一度聞こえたのでAが拳銃を持つて居たことを知つたが威嚇発射だと思つた。私は表の道を後をも見ずに東へ一目散に走つたが、犬に吠えつかれた。それから間もなく電車線路に出て東へ走つたが、その間に匕首の鞘をなくした事に気がついた。匕首の抜身は羽間駅との間の鉄橋の手前の稲田の中に投げ捨てた。それから国道に出て滝宮に入り、明るくなつてから電車に乗つて瓦町に帰つた。右の鉄橋の手前で暫くAの来るのを待つていたが、私と同じ方向に逃げて来る模様がなかつたの西の方へ逃げたと思い一人で帰つた。

その後四、五日して瓦町のFの家の前で初めてAと会い、私が「此の前のあれは大丈夫か」と訊くと、Aは「ひよつとして怪我して居るかも知らぬが死ぬ様なことはない」と申していた。御示の証第五号パナマ帽はAのものに相違ないと思う。折つてある型や色合いからAがその晩冠つて行つたものに違いない。Aが昭和二十一年七月末頃妻と一緒に入院していた丸亀の常包病院から退院して間もなく、私方へ真新しいパナマ帽を冠つて来たので、「お前利巧げな帽子を冠つて居るの、何処で買つたのだ貸してくれ」と言うと、「之は貸されぬ、丸亀でFから買つて貰つたのだ」と申し、私も此帽子を見て欲しくなり高松でパナマ帽を買つたことがあり、そんな事情でAのパナマが印象に深く残つている。なおAは向う意気が強く勇み肌で危い処へは先頭を切つて行くと言う風で憲兵だつた相で、拳銃扱いには馴れて居り、仕事に出かける時には時々拳銃を持つて行つて居た。

(二) Bに対する予審第一回訊問調書中の次の供述記載

D方の門は初めAが手か身体で扉を押したが開かなかつたので、同人は門の上に上半身を上げ俯向けになつて内側に手を差し延べ閂を外して一旦外側へ降りてから、私と二人で手で押して開けた。私はD方から東へ一丁位走つた頃、家の門先に居た犬に吠えつかれた。私がその後Aと一回会つたことは間違いないが、そのときあれは大丈夫かと言うたのは、勿論相手の男が死ぬ様なことはないかと言う意味である。Aと斯様な話をしたあと、私方の近所の散髪屋で榎井の方に強盗殺人があつたと新聞に出ていることを聞いたが、その日の新聞ではなくその前頃の新聞だとの事で、出して貰つて読んだりすると疑われるかも知れないと思い、その記事のある新聞は読まなかつた。又Aと瓦町のF方の表で会つたときも二十八日に私方へ来たときもパナマ帽子は冠つて居らなかつた。Aは帽子をいつも冠つて居り、夜仕事に行く時でも大概あれを冠つて行つた。

(三) 請求人に対する第二回予審訊問調書中の次の供述記載

私は昭和十九年から二十年にかけて第三機関銃中隊に属し、兵器部勤務で実包射撃や拳銃を使つていた。

(四) H子に対する検事の聴取書中の次の供述記載

昭和二十一年八月二十日夜十一時半頃戸締りをして夫D(その当時四十五年)と一緒に寝についたが、それから幾干眠つた頃か分からぬが専売局の夜警Iが私方に入つて来て、門が開いているが誰か外に出ているかと注意してくれたので「誰も出て居らぬ表門は昨夜閉めて寝たが」と言うたので、夫も私も起き上がり前後して玄関口から潜り戸丈けを開けて外へ出た。夫は表門を閉めに行つた間に、私は母屋の西側にある納屋の方を見たところ、母屋と納屋との間の入り込んだところに何か白い物が見え人が蹲つてかくれている様に思うたので、表門を閉めて表入口まで帰つて来た夫に、「彼処に人がかくれている様だ」と小声で告げ、何時頃かと思つて玄関の次の間の柱時計を見ると午前二時十五分であつたので、これは物騒だと思い乍ら玄関口の潜戸から一歩外へ出ようとして、たしか右足を戸の外へ出したと思う瞬間先づ夫が金鍬を振上げて居るのが目につき、次に夫の約一間程前に白いパナマ帽を冠つた男が一歩後に足を引いてたしか右手を前に突き出して夫に向い合つていたがその姿勢がピストルを持つて今にも撃とうとする恰好であつたからこれは危いと思い首を引込めた様に思う。その直後ピストルを発射した音がした。すると夫に向い合つていた賊は急いで表門の方へ逃げて行つたので急いで外へ出ると、夫は庭で俯伏になつて倒れて居つた。そこで私は急いで夫を抱き起したが既に絶命していたと見え、一言を発しなかつた。なお白い帽子を冠つた男が右申した様な恰好で夫に向い合つていたのははつきり見たが、今一人の男が右の白い帽子の男の後に立つて居た様な気がする。

(五) 第一審の現場における証人H子の訊問調書中の次の供述記載

私は潜り戸の所へ来て一歩出様と思つていると主人と賊とが差向かいになつているのを見た。その右後の方に中腰にボンヤリ人が居る様に思つたが、それは動いている様であつたので人が居るなと思つた。夫れを見ると同時位にピストルの音がした。そしてその音がしてから、二人とも門の方へ行つた様に思うが、門を開けるのに暇どつている様に思われ、おう一人のことは分からぬが一人は西へ逃げたことは間違いない。

(六) 控訴審の現場における証人H子に対する訊問調書中の次の供述記載

昭和二十一年八月二十一日の夜Iに声をかけられ主人は門の所へ行つたが門は犯人が入るとき壊したらしく縄でしばり、薄月夜であつたが、私は納屋の方から潜戸の方へ目が行つたら白い物がじろじろと見え、ぴんと一人でないことが分かり、後で考えて見ると白いものと言うのは帽子であつてピストルを突付けて居たのはその白い帽子であつた。そしてピストルを持つた人がピストルを突付けていたとき、その後にはつきりはせぬが、人がじろじろして居た。そして撃つてから二人とも逃げ二人か一人か分からぬが一人が西へ走つたのは確かである。

(七) 第一審の現場における証人E子に対する訊問調書中の次の供述記載

午前二時頃列車が着いて五分もたたぬ間に、人が二人通つたが、子供が小便をせぬのでジート見ていると西から東へ行き、D方の塀に姿が消えた。当夜は朧月夜であつたが、一人は白い帽子を冠つて居りシャツは二人とも白かつた様に思う。泥棒じやないかしらんと外に出て耳をすましていると、二人の姿が消えてから三、四十分たつた頃、パンという音がしてすぐガチャガチャという音がした。パンという音がガチャガチャという音より先だつたことは間違いない。それから姿ははつきり見なかつたが一生懸命飛ぶ様に走る足音がして居り、その男が通つてから、東で犬が吠えているのが聞こえたので主人ともう一人の男は東へ逃げたのだなあと話合つた。

(八) 証人J子に対する予審判事の強制処分における訊問調書中の次の供述記載

私はAと内縁関係があつたものであるが、昭和二十一年七月二十日頃、丸亀の常包病院から私達夫婦が退院しFと三人で高松へ帰ろうと丸亀駅に向かう途中私は主人達と別れ同駅に先きに来て待つていると主人とFとが来たが、主人が白の新しいパナマ帽を冠つていて、Fから買つて貰つたと言うていた。そして主人は汽車の中でパナマ帽の型を直していたが私もその型通りで指で摘まんで形をしつかり崩れないようにした。お示しの証第五号の帽子は今申した帽子に違いなく、型に心憶えがあるので断定できる。

(九) 証人K子に対する予審判事の強制処分における訊問調書中の次の供述記載

私は昭和二十一年七月頃お示しの証第五号必勝金文字入りのパナマ帽であつたか、どうか判らぬが、五十円迄の価格で特徴ある二人連れの客に売つたと思う。琴平で引合わされたFと言う人はその時の帽子の買主だつたと思う。証第六号のパナマ帽は私方では売つて居らぬ。

(一〇) 証人にLに対する予審判事の強制処分における訊問調書中の次の供述記載

お示しの証第六号のパナマ帽は弟Aが昭和十九年の夏かそれ以前から持つていたものであろうと思われる。お示しの証第五号のパナマ帽は内側の7というサイズの点などから昭和二十一年七月末丸亀の常包病院から退院して来たとき冠つて帰つた帽子に違いないと思う。そしてその帽子は九月中頃前述の古い帽子を警察署へ差出す際には家にはなかつた。

(一一) Lに対する検事の聴取書中の次の供述記載

弟Aにはパナマ帽二個を持つていたが八月二十八日Aが警察に捕まつたときには、家にはパナマ帽が一つしかなく、九月中旬弟のタンスの上の開きの中にあつたのを警察官の命によつて差出したが、それがお示しの証第六号の帽子である。そしてこれは古い方の帽子でもう一つの新しい帽子を同人がどうしたかそれは判らぬが、お示しの証第五号の帽子がその新しい方の帽子でないかと思う。

(一二) 第一審の現場における証人Mに対する訊問調書中の次の供述記載

自分は本件事件当時香川県刑事課の捜査主任をしていたが、七時頃現場に来て遺留品がないかと芋畑を見ると岸から一間半位い東から三条目と四条目の溝に、白いパナマ帽があり、お示しの証第五号がそれで必勝のマークがあつたから間違いなく、型もこの通りであつた。当夜は無風状態であり、一生懸命走つて居れば飛ばぬとも限らぬが、冠つて居れば夜分だから眼につくので捨てたものと思う。

(一三) Nに対する検事の聴取書中の次の供述記載

私は通称Aと呼ぶAに帽子を交換したことがある。それは私が桜キャバレーに勤めていた昭和二十一年五月二十一日であつたと記憶する。私が午後一時頃キャバレーに出勤の途中、遊廓の前でAから「一寸ペテンを今日一日貸してくれ」と言われたが、その時私は鳥打帽を冠りAはパナマ帽を冠つていた。私は鳥打ばかる冠るのでパナマ帽を冠る意思はなかつたが、Aが今日一日と言うたのでその位なら貸してやつてもよいと言う気になり、今日一日なら冠つて行けと言うて冠つていた鳥打帽をAに渡すと、Aは冠つていたパナマ帽を私の頭にのせた。私達の仲間では相手方に帽子を冠つているとき帽子を貸してくれと言えば交換してくれと言う意味である。その日の夜風呂帰りに又遊廓前でAに会うたが、Aは鳥打を友達に貸したと言つたので、「早く貰つて置いてくれお前のパナマは返すから」と言うてすぐキャバレーに帰つて更衣場の棚の上からパナマ持つて貴船樓の横でAに返した。そのパナマはお示しの証第六号の帽子に違いないと思う。

(一四) 予審判事の強制処分における検証調書中の被害者方裏庭は約六、七十坪ある旨の記載(当裁判所注・この「裏庭」は、同調書についての第一審判決の記載では「表庭」となつていること及び確定判決の前記認定等からして、「表庭」の誤記と思われる。)

(一五) 第一審における検証調書中の次の記載

被疑者が被害者に立向つた点と被害者との間は七尺五寸、被疑者と潜り戸との間は十三尺、被害者と板縁との間は七尺五寸ある。

E子方の縁からは通路を通行する人影を胸部から上を望み見ることができる。

(一六) Dに対する医師岩崎作成の鑑定書中の次の記載

凶器は銃器でその弾丸は左前胸部より射入し右側腹部に射出し、内部に於て左肺心臓肝臓肋骨を損傷し、直接の死因は心臓貫通創によるものと認める。顔及膝部の擦過傷銃丸の経路等により観察して、死者は極めて近距離に於て射撃されたものと認め、なお左前胸部入口周囲の赤褐色なのは射撃された際の火傷によるものと認める。

2  第一審判決が掲げている有罪認定の証拠

第一審判決は、右1の(一)ないし(五)、(七)ないし(九)及び(一二)ないし(一六)の各調書等の記載の概略と、次の(一)及び(二)の証拠を掲げ、これらを総合して請求人及びBが榎井事件の犯人であると認めるとしている(なお、第一審判決は、右1の(一四)の検証調書に「母屋と垣根の距離は約四十尺」との記載もあるとしている。)。

(一) 第一回公判調書中のBの次の供述記載

自分と被告人AとがD方へ這入つたのは翌午前二時過ぎ(昭和二十一年八月二十一日)でありました。二人で同家の観音開きの戸を開けて這入りますと間もなく夜回りの人が来たので本屋と物置との間に這入つて隠れて居りました。するとその家の主人らしい人が夜回りの声を聞いて出て来て開放しの門を閉めました。それから直ぐその人は鍬の様な物を振被つて二人の隠れて居る前の柱の処へ来ました。そうして泥棒出て来いと言うたので二人は立上りその人の横を逃げました。それから私は縄(証第四号)で縛つてあつた戸を短刀でその縄を切つて開け一歩外へ飛出した時にピストルが鳴りました。突然だつたので吃驚しました。外へ飛び出した時に犬に吠えられました。途中短刀の鞘(証第三号)のないことに気付きましたので匕首の身は捨てました。

(二) 押収してある実包弾体(証第一号)、薬莢(証第二号)、短刀の鞘(証第三号)、縄(証第四号)、パナマ帽(証第五号)

3  その他の証拠(請求人に有利な証拠)

(一) 市原弁護士の上告趣意書における指摘により次の証拠が存在したことが窺われる。

(1) Bは、榎井事件についてその自白を覆し、第一審の第三回及び第四回公判において、自分と請求人は全然関係していない、昭和二一年八月から長期にわたり勾留された結果、無実のことを自白した、自分は請求人が殺したのを見ただけであるから大したことはない、早く請求人が殺した旨を申し立てれば保釈にしてくれるとの意思により嘘の自白をした、と供述し、控訴審でも同趣旨の証言をした。

(2) J子は、控訴審において、前の供述は、長い間理由もなく留置され警察等において強要されたことによるものであつて、何も知らなかつた、証言した。

(3) Lは、控訴審において、警察署で脅迫された結果、犯行現場に落ちていた帽子は請求人のものであるかのように述べたが、それは違う、請求人のものではない、と証言した。

(4) Nは、控訴審において、自分は榎井事件につき嫌疑をかけられていたため不実の申立てをしていた、請求人と交換していた帽子を自分から請求人に返したことはない、現場に落ちていたという帽子は交換していたものとは違う、と証言した。

(5) Oは、第一審の第三回公判において、証第一号の実包彈体及び第二号の薬莢は、請求人の所持していた前記第一、二、2(自宅に隠匿していたもの。)及び4(二)の各拳銃から発射されたものではない、と証言した(なお、市原弁護士は、昭和二二年一月三一日付け香川県警察補Pから高松地方検事局十河検事宛の「鑑定の結果に就て」と題する書面にも同様の記載がある旨指摘している。)。

(6) 請求人は、榎井事件の当日である昭和二一年八月二〇日から翌二一日にかけて、高松市朝日町《番地略》Qの家に滞在宿泊し、現場にはいなかつた旨、アリバイを主張していたものであるところ、Q、Rは第一審において、また、Sは第一審及び控訴審においてそれぞれ右主張に沿う趣旨の証言をした。

(7) Bも、榎井事件の当日は高松市の自宅にいた旨、アリバイを主張していたものであるところ、Tは第一審において、また、Uは第一審及び控訴審においてそれぞれ右主張に沿う趣旨の証言をした。なお、Bも、控訴審において、同趣旨の証言をした。

(8) Bは、自白した際、現場に残されていた短刀の鞘(証第三号)が自分のものであることを認め、短刀は呉市のVから貰い受けた旨供述していたが、自白を覆したことから、控訴審が職権で右Vを取り調べたところ、同人は、短刀をBに交付したことはない、と証言した。

(二) 請求人の上告趣意書では、その余の証拠として、次のことが指摘されている。

(1) Fは、請求人と一緒に行つてパナマ帽を買つたことはない、と証言した。

(2) 現場に落ちていたパナマ帽の汗取りについて血液を検査した結果、血液不明ということになつた。

(3) W(前記第一、二、4(一)の専売局侵入事件等の共犯者)は、警察の取調べの際、Fらがおるとき小さい拳銃を出して射撃の仕方を教えてくれたことがあると述べたことにつき、それは、C警部補が、請求人が小さい拳銃を持つていると言えば釈放してやると言つたので、ありもしないことを述べたものである、と証言した。

(4) Fは、裁判所に出ている使用できない拳銃以外に全然持つたこともなければ見たこともない、と証言し、Qも、裁判所に出ている拳銃以外には全然拳銃を見たことはない、と証言した。

(5) F及びX子も、請求人のアリバイについて証言した。

二  香川県警察本部に残存していた関係書類の概要

当請求審の審理中、警察官の調査により、香川県警察本部で保管している書類綴に、前記第一、二、4の専売局侵入等事件及び榎井事件関係の書類が残存していることが判明した。その主なものの要旨は次のとおりである。

1  専売局侵入等事件に関するもの

(一) 昭和二一年九月三日付け「集団強盗未遂事件検挙に関する件」と題する高松警察署司法主任から香川県警察部刑事課に対する電話録取書(本書は日付けを昭和二〇年九月三日としているが明白な誤記とみられる。)並びに昭和二一年九月一四日付け「台湾人を背景とする日本人の集団強盗予備事件検挙に関する件」と題する香川県警察部長の内務省警保局防犯課長、近府県警察部長及び県下各警察署長宛申報書(二一発刑第二八五号)

請求人は、台湾人F及びその兄Qから合計一万六〇〇〇円を借金していたところ、最近に至つて両人からその返済を求められ、金策に奔走したが、思うように都合できなかつた。そのため、請求人は、Fが拳銃を所持していることに着眼し、拳銃を使用して一儲けしようと考え、八月二〇日頃、同人に交渉して十四年式拳銃一丁、実包八発を借り受け、自宅の机の引出しに隠した。その後、右拳銃は、Bに預けられ、更にQに預けられた。八月二八日昼頃、B方に請求人、Wらが集まつて犯行を計画した上、軍隊で拳銃を使用した経験のある請求人が脅迫用に右拳銃を携行することとし、WがQから拳銃を受け取つてきて請求人に渡した。請求人らは、高松専売局に侵入して煙草製品倉庫の軒下に潜伏中、番人に発見されたので、逃走した。所轄署は、午後一〇時三〇分頃被害届けを受理して張込みをし、逃げ遅れた請求人を逮捕したが、その際、請求人は、用便をすると偽つて河岸に立ち、拳銃を河中に放棄した。

(二) 昭和二一年九月一二日付けの(一)の申報書の案文(決裁文書)

請求人は、高等小学校を卒業後、呉海軍工厰に勤めたが、一八歳の頃、陸軍歩兵に志願して、丸亀、鳥取等の歩兵部隊に転属し、沖縄戦に参加した後、高知に転属し、補助憲兵として勤務中、終戦により復員した。

2  榎井事件に関するもの

(一) 昭和二一年八月二一日(午前一〇時)付け「捜査状況報告方の件」と題する琴平警察署から香川県警察部に対する電話録取書

発見者はE子である。犯人の人相着衣等は、<1>拳銃を持つていた男が、年齢三〇歳前後、丈五尺三、四寸位で高い方、体は肥満しており、着衣は白色長袖シャツであり、ズボン不詳、履物はズック又は地下足袋らしい、<2>短刀を持つていた男が、年齢不詳、丈は略々<1>と同じ、着衣は白シャツ。ただし、拳銃、短刀を持つていた点は捜査員の推定である。発見者は、子供に小便をさせるため、午前二時前に表へ出たところ、右二人連れの男が国鉄琴平駅の方から自宅前を通つて琴平専売局の方へいくのを発見したが、床に入り、午前二時発の臨時列車が通過して五分間くらい経つた頃「パン」と鉄砲の音がしたので耳をすましていると、一人の男が西の方へ表道を走る足音がした。

(二) 昭和二一年八月二四日付け「殺人事件発生手配に干する件」と題する香川県警察部長の内務省警保局長、各庁府県警察部長及び県下各警察署長宛手配書(二一発刊第二五五号)

犯人の人相着衣等は(一)の電話録取書のとおり。被害者方の表門と琴平専売局の裏門は相対している。琴平専売局では、本月六日及び一六日の各夜間に煙草合計約七万本が盗難に遭つたので、監視員を増員して警戒中であつた。被害者方では、八月二〇日午後一一時三〇分頃に就寝したが、翌二一日午前二時頃、巡回していた監視員Iが、被害者方の表門が開いているのを見つけ、「オイ、門が開いとるぞ」と警告した。被害者及びその妻は、早速起き出てそれぞれ邸内を調べていると、妻が牛屋の付近で犯人らしい男を見つけ、その旨を被害者に告げた。被害者は、鍬を携えて牛屋の前に行き、潜伏中の二人連れの男と二言、三言話をしている様子であつたが、その際、被害者が鍬を振り上げたのとほとんど同時に拳銃が発射された。犯人は西方に向かつて逃走した。現場から拳銃実包一発、薬莢一個、短刀の鞘一個、白パナマ帽(コヨリ製新品黒色鉢巻ビン皮茶色で必勝とマーク入り)一個を発見した。本件は、琴平専売局に保管中の煙草又は被害者方に飼育中の牛その他を強窃盗する目的で来た犯人が、潜伏潮待ち中に被害者に発見されたので、逮捕を免れるために敢行したものと思われる。

(三) 昭和二一年八月二一日付け「琴平署発生の殺人事件に関する捜査方の件復命」、同月二四日付け「殺人事件一斉検索結果報告に関する件」と題する仏生山警察署から香川県警察部に対する各電話録取書

八月四日、五日頃、香川郡大野村字寺井の雑貨並びに帽子店において、高松の者と思われる身丈約五尺二寸、色白丸顔で長髪、白ワイシャツと白長ズボンを着用した二十二、三歳の人に対し、白パナマ帽を代金四五円で売つた。

(四) 昭和二一年九月二〇日付け「捜査状況報告」と題する琴平警察署から香川県警察部に対する電話録取書

<1>請求人の内妻J子は、かつて琴平町の玉川樓で酌婦をし、その後、丸亀市福島遊廓松鶴別館で稼働しているうち、請求人に一万円余(請求人の自供では四〇〇〇円)で身請けされたものであり、請求人は、不良仲間と共に琴平町へ屡々遊びに来ていて、同町の地形その他に精通し土地勘があること、<2>請求人が所持していて検挙された際に海中へ投棄した拳銃は、同じく十四年式で、実包も合致していること、<3>請求人は、本年四月二八日丸亀市の常包病院に入院中、同市内で帽子を購入したが、その帽子は自宅に置いてある旨供述し(これにより自宅にあつた帽子は引き揚げ。)、現場に遺留されていた帽子が自分のものであることを否認しているけれども、請求人が購入したと供述する店と遺留帽子を販売した店とが一致すること、<4>高松警察署に留置中のJ子を取り調べたところ、同女は、「本年八月一九日から九月三日まで滋賀県大津市の姉の家に行つていたから、その間の請求人の行動は判らないが、請求人は、平常、昼は寝て晩が来るとズックを履いて出て行き夜明けになつて帰つていた。」旨供述したことなどを総合すると、請求人が榎井事件の犯人である容疑は極めて濃厚である。請求人は口を緘して犯行一切を否認しており、目下のところ、多額の遊興費の出所の調査、賍品による捜査等、正功法により追及するのが最も妥当であると考えられ、反面捜査に全力を集中している。

三  確定判決の証拠構造

以上の証拠及び当請求審において取り調べたその余の関係証拠を総合して検討すると、確定判決の証拠構造については、次のとおり考えられる。

1  特に問題のないと思われる事実関係

次の事実(以下「榎井事件の外形的事実」という。)はまず動かし難いものとみられる。

(一) D方は、琴電琴平駅のほぼ東方、直線距離で約五〇〇メートル、道路距離で概ね七五〇メートルないし八〇〇メートル(徒歩で約一〇分)の位置にあり、なお、右琴電駅の東方に国鉄(現JR)琴平駅があるから、琴電駅より国鉄駅がD方に近く、この点はE子方についても同様である。

(二) D方の建物は、敷地の北寄りに、東から西へ、納屋(東の納屋)、母屋(その西側部が玄関)、納屋(西の納屋。牛屋ともいわれていた。)と順次並び、これらの建物の南側は六、七十坪の表庭となつていて、その東南角部には便所があり、敷地の北端線及び西端線に沿つて土塀が築かれ、表庭南端(敷地南端)の小道との境界線には垣根があり、その境界線の中央部からかなり東寄りの便所に近い所で垣根が中断して、そこに表門があつた。なお、母屋と垣根の距離は約四〇尺(約一二メートル)であつた。

(三) E子方は、D方から七〇メートルから八〇メートル離れているが、両家の間は、畑と小道で建物など障害物がなく、見通しがよかつた。

(四) 榎井事件当夜の現場付近は朧月夜の状態であり、E子は、自宅表で子供に小便をさせながら外を見ていて、前の小道を白い帽子を被つた男ともう一人の男の二人連れが通りD方の塀に姿を消したのを目撃した。

(五) その後間もなく、夜警をしていた琴平専売局の監視員Iが、D方の表門の戸が開いているのを見つけて注意し、就寝中であつた被害者とその妻H子がこれに気付いて玄関口から外へ出た。

(六) 被害者は、表庭を通つて表門へ行き、閉門した上、戸の内側の合わせ目を縄で縛つた。H子は、その間に、母屋と西の納屋との間の入り込んだ所に蹲つて隠れているような人影を見たので、その旨を玄関口に戻つた被害者に小声で伝えた。

(七) H子は、いつたん家の中に入り時刻を確かめてから外へ一歩出たところ、被害者が鍬を振り上げて、白いパナマ帽を被り拳銃を突き出している男と対峙しているのが目に入るとともに、その男の後方にもう一人の男がいるように感じたが、その直後、拳銃が発射され、二人の男が急いで表門の方へ逃げるのを目撃した。そして、同人は、その二人の男が門の戸を開けるのに手間取つていたように思い、一人が西方へ逃げたのを目撃した。

(八) その頃、E子は、D方の方で「パン」という音とそれに続いて「ガチャガチャ」という音がしたのを聞き、更に、自宅前の小道を西方へ走る足音と東方で犬が吠えているのを聞いた。そして、同人は、この足音等からして、一人の男は西に逃げ、もう一人の男は東へ逃げたと思つた。

(九) 現場及びその付近には、実包弾体、薬莢、短刀の鞘、パナマ帽のほか、刃物で切断された縄が落ちていた。右パナマ帽は、犯人の一人が白いパナマ帽を被つていたというH子の供述、目撃した二人連れの一人が白い帽子を被つていたというE子の供述などから、犯人の一人が遺留したものだとされた。

2  証拠構造

確定判決は、右の二人連れのうち、パナマ帽を被り拳銃を持つていた男が請求人、もう一人の男がBであると認定して、請求人は榎井事件についても有罪であるとしたものであるが、その証拠は、<1>「請求人と一緒に被害者方邸内に侵入した。請求人は丸亀でFに買つてもらつたという真新しいパナマ帽を被つていた。被害者に見つけられたので、被害者のことは請求人に任せて、先に逃げ出した。表門の戸に体当たりしたが戸の合わせ目が縄で縛られていて開かなかつたから、所持していた短刀で縄を切断して開け、門外に飛び出した。その途端、拳銃の音が聞こえたので、請求人が拳銃を所持していて発砲したのだと思つた。現場近くに落ちていた証第五号のパナマ帽は請求人のものに相違ないと思う。逃げる途中、短刀の鞘をなくしたことに気付き、短刀の抜身は稲田に捨てた。」というBの自白、<2>右パナマ帽の存在と、それが請求人の所有物であるとするJ子、L、Bの各供述並びにこれらの供述を裏付けるK、Nの各供述(以上の供述の総合的な内容は、請求人はパナマ帽を二つ所有していた、一つは請求人がNと交換していて返還を受け自宅に置いてあつた証第六号の帽子であり、もう一つは請求人が常包病院を退院するとき丸亀のKの店でFに買つてもらつた証第五号の帽子である。ということになる。)、<3>Bとの関係での短刀の鞘(証第三号)である。その他の証拠からは榎井事件の犯行と請求人を結び付けることはできない。すなわち、確定判決は、Bの自白を主要証拠(直接証拠)とし、パナマ帽の存在とこれに関するJ子らの各供述並びに短刀の鞘とこれに関するBの供述を補強証拠(間接証拠)とし、請求人と榎井事件の犯行を結び付けており、これが正の確定判決の証拠構造である。なお、短刀の鞘とBとの結び付きについて、第一審判決は、第一回公判調書及び前記一、1、(一)の予審判決の強制処分における訊問調書中に、Bの供述として、「短刀で縄を切断して門の戸を開けた。逃げる途中、短刀の鞘をなくしていることに気付いて、短刀の抜身は捨てた。」という記載のほか、「現場近くに落ちていた短刀の鞘は自分のものに相違ない。」という記載があつたことをも、証拠に掲げているところ、確定判決は、前者は掲げているけれども、後者は明示しておらず(右公判調書の記載も掲げていない。)、しかし、前記のとおり、控訴審において、VがBに短刀を交付したことはない旨証言しているから、確定判決が右の結び付きをどのように判断したのかについて、いささか疑問があるが、短刀に関する供述を証拠に挙げていることからして、短刀の鞘がBと無関係であるとみているとは思われないので、結局、Vの証言を信用できないとしたか、短刀の入手先はともかく短刀を所持していて縄を切断しその鞘は落としたというBの供述自体は信用できるとしたか、のいずれかであると考えるほかない。

そして、請求人は、「J子と一緒に行つてKの店でパナマ帽を購入したが、それは自宅に置いてあつて警察が引き揚げた証第六号の帽子であり、Nと交換していたパナマ帽は返してもらつていなかつた。大阪駅前で買い受けた前記第一、二、2の拳銃二丁のうち、一丁は同2のとおり自宅に隠匿し、もう一丁は同4(二)のとおり高松専売局に侵入した際に携帯していたのであつて、そのほかに拳銃を所持したことはない。」と主張し、榎井事件の犯行を強く否認する供述をし続けて動ずるところがなかつた上、現場に遺留された実包弾体(証第一号)及び薬莢(第二号)が請求人の所持していた右二丁の拳銃から発射されたものでないことが判明し、請求人が犯行に使用したとされる拳銃及びBが捨てたという短刀の抜身はいずれも発見されず、更に、前記とおり、公判において、請求人の主張、供述の裏付けとして少なからず反証が提出されたけれども、確定判決は、これらの点につき特に言及することなく、請求人の主張ないしは反証をすべて排斥し、右<1>ないし<3>の証拠とその他の証拠を総合して、請求人の有罪を認定したものである。なお、確定判決は、拳銃につき、請求人は大阪駅前で買い受けた二丁のうち一丁を自宅に隠匿していた、高松専売局へ侵入した際に請求人が携帯したものはFから借用したものであつて、右二丁のうち残りの一丁ではない、したがつて、所在は判明していなくても、請求人がD方で拳銃を発砲した旨のBの自白の信用性に問題はないと判断したのではなかろうかと思われる。

第三  再審請求の理由

本件再審請求の理由は、藤原、松岡、木村及び松原の各弁護人を除くその余の弁護人ら連名作成の再審請求書、岡部弁護人作成の釈明書、岡部、佐藤、武村、徳田、三野、城後、佐野、嶋田、猪崎、堀井、松浦、古市、渡辺、平井、桑城、川崎、馬場、山下、井上、柳瀬、吉田、矢野及び菊地の各弁護人連名作成の一九九〇年(平成二年)九月二七日付け意見書(人証の採否に関する意見書)、岡部、佐藤、武村、徳田、三野、城後、佐野、猪崎、堀井、松浦、平井、桑城、山下、吉田、矢野、柳瀬、井上及び川崎の各弁護人連名作成の一九九一年(平成三年)一月二五日付け意見書、岡部弁護人作成の意見書訂正書、弁護人全員連名作成の最終意見書並びに岡部弁護人作成の最終意見書訂正書に記載のとおりであるから、これらを引用する。本件は、旧刑訴法に基づき捜査を行つた後、予審を経て公判に付された案件であり、公判に付された日の翌日である昭和二二年五月三日に日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律(以下「応急措置法」という。)が施行されたため、第一審の公判手続以降の手続は旧刑訴法及び応急措置法によつて行われ、上告審係属中の昭和二四年一月一日に現在の刑事訴訟法(以下「現刑訴法」という。)が施行されたが、刑事訴訟法施行法二条により、現刑訴法施行前に公訴が提起された事件についてはなお旧刑訴法及び応急措置法を適用することとされたため、上告審の手続も旧刑訴法及び応急措置法に従つて行われたものであつて、その再審の手続も同様に行われるべきものであるところ、本件再審請求は、確定判決の榎井事件に関する部分につき、請求人に対し無罪を言い渡すべき明確な証拠を新たに発見したことを理由に、旧刑訴法四八五条六号に基づいてなされたものである。弁護人らが再審の理由として主張するところの要旨は、次のとおりである。

一  確定判決の証拠構造の脆弱性

1  Bの自白の任意性・信用性についての疑問

(一) Bは、長期にわたる身柄拘束の後に自白したものであり、その前には長らく否認を続けていたこと、公判段階では再び否認し無実のことを自白させられた旨主張していることなどからして、その自白の任意性には重大な疑問があるところ、確定判決は、これについて何も論じておらず、任意性に関する事実の取調べをしていない疑いがある。なお、上告審判決は、Bが昭和二一年八月三〇日検挙されて以来身柄を拘束されていたことを確認できる資料はなく、Bが勾留されたのは昭和二二年一月三〇日であるなどとして、Bの自白が不当に長い抑留若しくは拘禁の後の自白(応急措置法一〇条二項)であるとはいえないと判示しているが、Bに対する右身柄拘束は明白な事実である。

(二) Bの自白は、次の諸点からして、信用性に極めて疑問がある。

(1) 犯行の誘い等の点

請求人が二、三日前に下見したので琴平専売局へ煙草を盗みに行こうと誘つたというが、下見をしたのであれば、警備状況等も当然考えられていたはずであるのに、Bの自白からすると、そういうことは全く考えられずに現地へ行き、警戒が厳重であることがわかつた上、請求人が煙草を盗んでもそれを運ぶ車もないなどと言つたことから、急遽、侵入対象を被害者方に変更したことになり、不自然、不合理である。また、請求人及びBが住んでいた高松から遠く離れた琴平専売局へ煙草を盗みに行くということ自体が、盗品の運搬、処分の不便、困難さの点からして、合理性のないことである。

(2) 時間待ち等の点

Bの自白によると、遊廓で約四時間も素見して過ごしたということになるが、そのこと自体が極めて不自然、不合理である上、それを目撃した者がいない。また、警察署の側の橋から琴平専売局まで行くための所要時間は徒歩で一五分程度にすぎないから、それに約二時間かかつているということも不合理、不自然である。

(3) 服装の点

Bの自白では、Bは黒シャツ、請求人は白シャツを着用していたというのであるが、二人連れを目撃したE子は、二人とも白シャツを着ていたと思う旨供述しており、およそ白と黒は見違えるはずはなく、人によつて表現の差が出るというものでもないから、この点は明らかに食い違いである。

(4) 犯行状況の点

Bの自白では、Bは、拳銃が発射される前に、被害者と対峙している請求人を置いて逃げ、表門の戸に体当たりをし、その後に拳銃が発射されたことになるが、犯行現場に居合わせたH子は、拳銃の音がしてから二人が表門の方へ逃げ、門の戸を開けるのに暇取つていたように思う旨、全く逆の供述をしている。そして、Bの自白を裏付けるのものは何もないが、H子の供述は、「パン」という音がしてから「ガチャガチャ」という音がした、というE子の供述により十分裏付けられている。したがつて、この点も重大な食い違いである。

(5) 短刀の点

Bが短刀の抜身を捨てたという場所を捜索してもそれが発見されておらず、Bに短刀を交付したとされていたVはそのことを否定している。

(6) パナマ帽の点

Bは、証第五号のパナマ帽に関し、請求人が常包病院から退院して間もなく真新しいパナマ帽を被つているのを見て、自分も欲しくなり高松で買つたので印象に残つている旨供述しているが、それが真実であるとすれば、捜査官において、Bがパナマ帽を買つたという点の裏付けを取ることが容易にできたはずであるのに、それが一切ない。

(7) 請求人が憲兵であつたという点

請求人が憲兵であつた事実はないから、Bの自白のうち、請求人が憲兵だつたそうで拳銃の扱いに馴れているという部分は、捜査官が、請求人と拳銃を結び付けるため、誤つた情報に基づき作文したことによるものとみられ、Bの供述の他の部分にも同様のものがあることが疑われる。

(8) 秘密曝露供述の不存在

前記第二の証拠関係に照らすと、C警部補ら捜査官は、Bを取り調べたときには、榎井事件の外形的事実をすべて知り、また、請求人やBが琴平の遊廓へ遊びに行つていたこと、琴平専売局において榎井事件の前に煙草盗難事件があつたため警戒を厳重にしていたこと、請求人が補助憲兵であつたことなどの情報(ただし憲兵の点は誤報)を得ていたことが明らかであるところ、Bの自白は、このような既に捜査官にわかつていた事実に沿つた内容となつており、何一つとしていわゆる秘密暴露供述が存在しない。

2  証第五号のパナマ帽とこれに関する供述の証拠価値の問題

証第五号のパナマ帽が榎井事件で意味を持つのは、その客観的な性質の故ではなく、それが請求人所有のものである旨のB、J子及びLの各供述並びに同様のことを窺わせるK及びNの各供述が存在するためにすぎない。すなわち、このパナマ帽は、物的証拠であるとはいえ、実質的には供述証拠によつて支えられた証拠であつて、それ自体が請求人と結び付くような特徴を有しているわけではなく、この点については、パナマ帽の汗取りに吸収された汗を資料にして血液型に関する検討を行えば、パナマ帽を請求人の所有物とみることに重大な疑問が生じたはずであつたにもかかわらず、その検討を怠つているという問題が逆にある。そして、物の同一性識別に関する供述は、科学的鑑定等による場合とは異なり、いわば質的に信用性が著しく低いものである上、前記第二の証拠関係に照らすと、右の支えとなつている供述のうち、B、J子、N及びLの各供述は、警察官に強制され、その影響の下になされた疑いがあり、また、Kの供述は、極めてあいまいであり、二人連れの客に売つたというパナマ帽は証第五号の帽子ではなかつたとみる余地さえある。なお、右各供述では、パナマ帽はFが請求人に買い与えたことになるが、その旨のFの供述はなく、かえつて、請求人の上告趣意から、Fは買い与えたことを否定する証言をしたことが窺われる。

3  拳銃についての問題

請求人において所持していたことが明らかな二丁の拳銃(前記第一、二、2及び4(二))が、榎井事件で使用されたものでないことは、明白である。そして、Bの自白の拳銃に関する部分は、請求人が拳銃所持・発砲したことを現認したというのではなく、発射音がしたので請求人が拳銃を所持していて威嚇発射したものと思つたという、片言隻句にすぎないものであつて、請求人が右二丁以外に拳銃を入手所持していたことの証明にはならない。結局のところ、榎井事件の凶器である拳銃については一切が不明であり、これと請求人を結び付けることはできない。

二  再審理由の存在

1  証拠の新規性と明白性

旧刑訴法四八五条六号所定の無罪を言い渡すべき明確な証拠を新たに発見したときという再審理由と、現刑訴法四三五条六号所定の無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したときというそれは、同義というべきであり、証拠の新規性(あらたな証拠)と明白性(明らかな証拠)が要件となつている。しかし、右の明らかな証拠は、当該確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうこと、それにあたるかどうかは、もし当の証拠が当該確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかという観点から、当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきであること、その判断に際しても、再審開始のためには当該確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、「疑わしいときは被告人の利益に」という鉄則が適用されること、以上の点は確立した判例である。したがつて、当該確定判決に一定の疑問がある場合には、まず、新旧全証拠の総合再評価を行つてその確定判決における有罪認定に対する合理的な疑いの存否の判断をし、これを踏まえて証拠の新規性を判断するのが相当であるところ、本件では、前記のとおり、証拠構造が極めて脆弱であり、旧証拠のみによる評価によつても請求人を榎井事件の犯人と断定するにはあまりにも早計に失するというほかない上、提出された後掲のものなど多数の新証拠をあわせて総合評価すれば、確定判決の榎井事件に関する事実認定に一層重大な疑問を生ぜしめるというべきであつて、これが覆る蓋然性があることは明らかであり、確定判決の認定には合理的な疑いがある。

2  主な新証拠(新規性)

(一) 昭和二九年一二月一〇日香川県警察本部捜査課が発行した「重要犯罪端緒録」のうち「榎井村に発生した拳銃による煙草配給人殺し」の部分(弁甲三号。以下「端緒録の本件部分」という。)

本書は、確定判決後に作成されたものであるから、それ自体に新規性がある。

本書には、Z、A’両刑事が、Kに対し、パナマ帽を売つたことにつき聞込みをしたところ、同人において、売つた相手は、やくざ風の二〇歳位の男で、玄人上がり風の女を連れており、常包病院に入院しているような話をしていた旨供述した、との記載がある。これは、確定判決に掲げられている同人の供述(J子の供述とあわせて考えると、売つた相手の「特徴ある二人連れの客」というのは、Fともう一人の男、すなわち男の二人連れを意味することにならざるを得ない。)と異なつている。したがつて、本書記載の右供述は、同一人の供述であつても、新規性がある。

また、本書には、Bが、高松専売局侵入事件で検挙(昭和二一年八月三〇日)されて以来身柄拘束を継続され、榎井事件の取り調べを受けた、との記載がある。これは、上告審が確認できないとした長期の身柄拘束を明確にしている。

(二) 当請求審におけるC警部補の証言(以下「Cの証言」という。)

C警部補は、警察によるBの身柄拘束は昭和二一年八月三〇日から続いていた、それは当時の行政執行法に基づく行政検束としてであつた、その拘束の下で榎井事件につきBを取り調べた、Bの供述と関係者の供述との矛盾、特に逃走と発砲の順序に関するそれにつき、Bを追及しなかつた、端緒録の本件部分のKからの聞き込みに関する記載内容はZ、A’両刑事から聞いたことと一致する、と証言した。C警部補は、第一審及び控訴審においても証人に立つているが、右証言は、当請求審においてはじめて述べられたものであるから、新規性がある。この証言は、Bに対し長期の身柄拘束が行われたこと、しかも、それが行政検束という違法なものであつたことを明確にし、C警部補が、後記のように、Bに対し罪は軽いなどと告げて、利益誘導を行つたことを窺わせるものである。

(三) 当請求審におけるBの証言(以下「Bの証言」という。)

Bは、自白した事情として、<1>長期にわたり身柄を拘束され、午後一〇時頃から翌日午前二時前後頃にまで及ぶ深夜の過酷な取調べを繰り返されたこと、<2>C警部補から「請求人がお前と一緒にやつたと自白しているぞ」と言われたこと、<3>同じく「J子も請求人とお前がやつたと話しているぞ」と言われたこと、<4>同じく「現場に落ちていた弾と請求人が持つていた拳銃の線条痕が一致した」と言われたこと、<5>同じく「お前は一緒に行つていただけで何にもしていないし、罪も軽いんだからすく帰れる」と言われたこと、<6>追及されているうち、右<2>及び<4>の点と請求人が拳銃を持つているのを従前から知つていたことから、請求人が犯人だと思い込み、その共犯について請求人が何らかの事情により虚偽の自白をしたものだと考え、これに合わせ身代わりとして虚偽の供述をしてやろうと思い至つたこと、以上の六点を挙げ、第一審及び控訴審においては、右<1>及び<5>の点を供述したが、その他の点は供述しなかつたと証言した。したがつて、<2>、<3>、<4>及び<6>の点の証言は、新規性がある。

また、仮にBが第一審及び控訴審において<2>、<3>、<4>及び<6>の点をも供述していたとしても、次の理由により新規性があるというべきである。すなわち、Bは、<2>、<3>、<4>及び<6>の点、つまり為計によつて自白したものであるところ、確定判決後の昭和四五年一一月二五日に至り最高裁判所大法廷が、本件再審についても適用される日本国憲法三八条二項の解釈として、為計による自白には証拠能力がないとの判例を出しており、確定判決はこの判例の解釈を根拠にして自白の任意性につき判断することができなかつたわけであるから、<2>、<3>、<4>及び<6>の点がBの供述として現れていても、それは、為計による自白の関係では確定判決の判断対象にはなつておらず、したがつて、存在しなかつたものと同視できる。

(四) 高松地方裁判所昭和五一年た第一号事件(いわゆる財田川事件)の被告人谷口繁義供述調書(弁甲七号)、無罪判決書(同九号)並びに証人池内音一尋問調書(同一〇号)、池内音一に対する殺人被告事件の無罪判決書(同一二号)、前記「重要犯罪端緒録」のうち「財田村闇ブローカー香川重雄被害の強盗殺人事件」の部分(同八号)、昭和三〇年一月法務研修所が発行した「起訴後真犯人の現れた事件の検討」のうち「香川県綾歌郡府中村の人妻殺害事件」の部分(同一一号)及びCの証言(犯人ではなかつた池内音一に無理に犯人であると供述させたことなどの証言)

これらは、いずれも確定判決以降に得られたものであるから、その新規性は明らかであつて、C警部補が無実の人間から虚偽の自白を引き出すという極めて危険な取調性癖を有していることを示している。

(五) 前記第二、二、2、(一)の電話録取書(同八二号の三)

本書は、榎井事件の直後、琴平警察署から香川県警察部に対し、E子が目撃したという二人連れの男の年齢、身長、体格その他を連絡した記録であり、連絡事項自体は信用性が高いところ、その年齢等は請求人及びBと相違している。確定判決は、E子の供述(前記第二、一、1、(七))に犯人の年齢等を示していないので、これについては、<1>同人が供述しなかつたか、<2>供述はしていたが確定審裁判所がこれを信用できないとしたか、のいずれかであると思われるが、本書は、<1>の場合は当然新規性があり、<2>の場合であつても、年齢等に関する同人の供述の高度の信用性を示すものとして新規性がある。

(六) 香川医科大学法医学教授井尻厳作成の検査結果報告書、北里大学医学部法医学担当教授船尾忠孝作成の意見書・回答書、日本連合衛生学会々誌第三巻の抜粋、社会医学雑誌自第五〇四号至第五一五号の抜粋、日本法医学雑誌第二巻第一号中の竹内長次の「人涙液の分泌型・非分泌型に就て」と題する論文、長崎医学会雑誌第二九巻第八号中の石井康允の「分泌型非分泌型より観たる体液中の型質について」と題する論文及び犯罪学雑誌第二二巻第一号中の中嶋八良・川村一枝の「分泌型、非分泌型からみた人の型質」と題する論文(弁甲一四、一六、一八ないし二三号。以下「血液型に関する証拠」という。)

この報告書等は、第一審及び控訴審において取り調べられていないものであるから、新規性があることは明白である。これによれば、昭和二一年ないし二三年当時の我が国の法医学の水準で帽子の汗取りに吸収された汗からその型質が分泌型か非分泌型かを判定することが十分可能であつたこと、請求人の血液型はA型の分泌型であることなどが認められる。前記のとおり、請求人の上告趣旨から、証第五号のパナマ帽の汗取りに吸収されていた汗からは血液型が判明しなかつたことが窺われるが(そのように判明しなかつたことは、Cの証言も肯定し、検察官も争つていない。)、これは、この報告書等からして、非分泌型であつたためである可能性がある。第一審及び控訴審が分泌型か非分泌型かの点につき検討した形跡はない。したがつて、この報告書等は、右パナマ帽を使用していたのは、非分泌型の人であつて、分泌型である請求人ではないことを極めて強く疑わしめるものである。

第四  再審理由についての当裁判所の判断

一  旧刑訴法四八五条六号の意義と同号の再審理由の判断方法

1  旧刑訴法四八五条六号所定の無罪を言い渡すべき明確な証拠を新たに発見したときという再審理由と、現刑訴法四三五条六号所定の無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したときというそれは、文言が実質的に同じであることや、旧刑訴法上の被告人に不利益な再審はこれを認めないとする応急措置法二〇条及び旧刑訴法は日本国憲法の趣旨に適合するようにこれを解釈しなければならないとする応急措置法二条の規定などからして、同義であるとみるべきであり、したがつて、旧刑訴法の右再審理由については、現刑訴法のそれに関する解釈がそのまま妥当するというべきである。

2  右再審理由は、証拠の新規性(あらたな証拠)と証拠の明白性(明らかな証拠)を具備すべきものであるところ、後者に関しては、最高裁のいわゆる白鳥決定(昭和五〇年五月二〇日決定刑集二九巻五号一七七頁)が、<1>明白性の意義につき、現刑訴法四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは、当該確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうとし、<2>その判断方法につき、右の明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が当該確定判決を下した裁判所の審理中に提出されたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきであるとし、<3>更に、この判断に際しても、再審開始のためには当該確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が適用される、と判示しており、また、同じくいわゆる財田川決定(昭和五一年一〇月一二日決定刑集三〇巻九号一六七三頁)が、右判示の法原則を確認踏襲した上、この原則を具体的に適用するにあたつては、当該確定判決が認定した犯罪事実の不存在が確実であるとの心証を得ることを必要とするものではなく、その確定判決における事実認定の正当性についての疑いが合理的な理由に基づくものであることを必要とし、かつ、これをもつて足りると解すべきであるから、犯罪事実の証明が十分でないことが明らかになつた場合にも右の原則があてはまる、と判示している。証拠の明白性に関するこのような解釈論は、判例において既に確立したものとなつているから、当裁判所においても、これに従つて、本件再審請求に対する判断を行うべきものと考える。なお、この点について、検察官は、本件では、確定記録が廃棄されて旧証拠が存在せず、また、確定審裁判所の心証形成の過程が明確でないため、旧証拠との総合評価は事実上不可能であるから、総合評価をするとしても、実際には、新規証拠のみによつて異なる事実認定ができるかどうかという個別評価によるほかない旨の意見を述べているが、前記第二のとおり、確定判決及び第一審判決には有罪認定の用に供した証拠の内容がかなり詳細に記載され、最も重要な証拠であるBの自白の内容は特に詳細に記載されており、各上告趣意から請求人の反証の内容も窺うことができるほか、関連文書の収集や証人及び請求人の尋問も行われて相当程度に記載が再現されているから、新旧証拠の総合評価は十分可能であるというべきである。

二  新証拠(証拠の新規性)

証拠の新規性(あらたな証拠)とは、要するに、証拠の未判断資料性(実質的な証拠価値の判断を経ていない証拠)を意味するものと解するのが相当である。したがつて、同一人のあらたな供述など、証拠方法としては同じであつても、証拠資料として内容にあらたなものがあれば、新規性が認められるべきであり、また、当該確定判決前から存在していたものでも、新規性が肯定されるべきである。

当請求審では、前記第三、二、2、(一)ないし(六)の各証拠をはじめ、多数の証拠が提出されたが、これらのうち、Bの証言、端緒録の本件部分、Cの証言及び血液型に関する証拠について、新規性の有無を検討してみる。

1  Bの証言

(一) Bの証言のうち、自白及びその前後の状況に関する部分の要旨は、次のとおりである。

(1) 八月三〇日から高松警察署に身柄を拘束され、窃盗等事件の取調べを受け、これを自白したが、窃盗等事件の捜査が終わつた一〇月初め頃、琴平警察署に身柄を移された。その前に、高松警察署の留置場で雑役に従事している者から、お前ら(B、請求人、Wらを指す)に榎井村のピストル殺人の嫌疑がかかつている、と言われたので、初めてそういう事件が発生したことを知つた。

(2) 琴平警察署に移つて一〇日ないし二週間位後から、榎井事件の捜査責任者となつたC警部補の取調べを受けるようになり、榎井事件について追及されたが、全く関わつていなかつたので否認した。そして、C警部補の追及の中で榎井事件が八月二一日に発生したことを知つたが、それより前に琴平の遊廓「いろは」で働いていたB’子を身請けして同女と高松市内で同棲しており身請けしてからは琴平に行つたことがなかつたので、その旨を述べて弁明した。しかし、C警部補は、その弁明を受け入れず、更に厳しく追及してきた。そのため、八月二一日には琴平へ行つていないことを明らかにする必要があると考え、同月一八日に岩瀬練乳高松工場へ行き盗みをしようとして未遂に終わり(当裁判所注・今の記載ではこうだという。)、翌一九日に友人のC’の家で泊まり、翌二〇日午後六時頃自宅に帰つてきたことを思い出したので、その旨を説明したが、C警部補はこれを受け入れなかつた。

(3) 取調べは、二、三日ごとであつたり、連日にわたることもあつて、毎回、午後一〇時頃から始まり、翌日午前一時三〇分ないし二時頃まで行われ、三時頃に及ぶこともあつた。食事は、雑炊、すいとん、干しうどんなどで、朝食は午前六時過ぎ、昼食は一二時、夕食は午後五時頃であり、夕食後は食べるものは与えられず、右取調べの時間帯には非常に空腹を覚えたし、自白する直前には非常に寒い状況で取り調べられた。

(4) 一二月頃には、C警部補から、「請求人はお前と一緒にやつたと自白しているぞ」と言われ「J子も請求人とお前がやつたと話しているぞ」とも言われた。更に、その頃、C警部補から、「現場に落ちていた弾と請求人が持つていた拳銃の線条痕が一致した」と言われた上、「お前は一緒に行つただけで何もしていないし、罪も軽いんだからすぐ帰れる」と、殺人については責任はなく住居侵入だけの責任である旨を言われた。

(5) このような取調べを受けているうち、次第に精神的に参つてしまい、C警部補から、請求人が自白した、線条痕が一致したと言われたこと、請求人から拳銃を買つたと聞いたことがあつたし、高松専売局へ侵入した際に請求人が拳銃らしいものを持つていたようでもあつたことから、請求人が犯行に及んだものと信じるに至つた。そして、自分は全く関わつてはいないけれども、自分と一緒にやつたと請求人が自白しているのは、請求人がほかの誰かと一緒に犯行に及んだが、義理などで、その共犯者の名前を出せないため、自分の名前を出したということであろうと考えた。自分も請求人も組に属していたが、やくざの世界ではそういうことがある。それで、請求人の自白に合わせてその共犯者の身代わりになつてやろうという気持ちと自分も何としても一時も早く出たいという気持ちから、榎井事件の犯行時に請求人の側にいたと嘘を言うことにした。

(6) C警部補に対する自白は、「入つたとき夜回りが来ただろう」と問われて「はい」と答え、「請求人と被害者が差し向かいになつていたとき横をすり抜けて逃げただろう」と問われて「はい」と答え、「縄を切つて逃げただろう」と問われて「はい」と答え、「犬に吠えつかれただろう」と問われて「はい、吠えました」と答える、というような調子であつた。琴平専売局の所在地は知らなかつた。自白前に、事件現場に短刀の鞘が落ちていたこと、被害者の家は門が観音開きであり庭が広いことを警察官から聞いて知つていた。納屋の庇の下に丸太木が沢山あることも取調べ中に教えられた。自白調書で、拳銃の発射音を聞いてから請求人が拳銃を持つていたことを知つたことになつているのは、少しでも罪を軽くするために言つたのかもしれない。請求人と盗みに行つたとき請求人がパナマ帽を被つているのを見たことはない。自分は、パナマ帽に興味はなく好きでもなかつた。短刀は呉市のVから貰つた旨自白したが、これは、Vの名前を出しても警察がわざわざ呉市まで行つて同人に確認することはないだろうし、捨てたといえば捜し出すことは困難だと思つて、虚偽のことを述べたものである。短刀の抜身を捨てたという場所を指示させられたり、これを探すために現地へ連れて行かれたことは一度もない。

(7) その後、D’検事の取調べを受けた際、いつたん否認したが、同検事から、今更そんなことを言つても仕方がない、このまま行けば刑は軽いし出所も早いのだから、素直に白状した方がいいではないか、という趣旨のことを言われた上、C警部補から否認したことを咎められたので、自白を維持して早く出してもらうことにしようと考え直して、同検事にも自白し、更に、予審判事の取調べの際には、早く出たいという気持ちと、否認できるような雰囲気ではないと思つたことから、予審判事がそれまでの書類(C警部補及びD’検事作成の自白の書類)を読みながら聞いてきたことをすべて肯定して自白を維持した。

(8) 第一審の第一回公判における罪状認否で、請求人が「この事件(榎井事件)はやつていません」と堂々とした態度で答えた。自分は小さい声で「やりました」と返事した。自分が認めたのは、保釈とか執行猶予などで早く出られるという気持ちもあつたからである。請求人がやつていないと答えたのを聞いて驚いたが、それまで請求人はやつているものと信じていたので、その答えを聞いてもなお、本当にやつていないのだろうかと疑問に思つた。拘置所に戻つていろいろ考えてみたが、請求人は本当にやつていないのだろうかという半々の気持ちであつた。しかし、請求人が、第二回公判、第三回公判でも堂々とした態度で否認を続けたので、そういう態度をとれるのはやはりやつていないからだろうと考えるようになり、また、現場に遺留された弾と請求人の持つていた拳銃が一致しないということを法廷で聞き、C警部補の言つたことが嘘とわかつたので、第三回公判で、裁判官に対し、「請求人はやつていない。」と叫んだ。以来、否認を続けた。

(二) 右Bの証言は、それ自体に不自然、不合理といえるほどのものはないし、前記第一、三のとおり、C警部補において、請求人及びBが榎井事件の犯人であるとの強い予断のもとに取調べにあたつていることや、前記第二、二、2の香川県警察本部に残存していた書類、特に、同(四)の「捜査状況報告」と題する電話録取書の記載などにも照らし、少なくとも、明らかな虚言であるなどとは到底いえない。そして、Bは、自白をした理由として、<1>長期にわたり身柄を拘束され深夜に過酷な取調べを繰り返されたこと、<2>C警部補から「請求人がお前と一緒にやつたと自白している」「J子も請求人とお前がやつたと話している」「現場に落ちていた弾と請求人が持つていた拳銃の線条痕が一致した」などと言われたこと、<3>更に、C警部補から「お前は一緒に行つていただけで何もしていないし、罪も軽いんだからすぐ帰れる」と言われたこと、<4>このように言われて追及を受けているうち、請求人が自白した線条痕も一致したということと、請求人の従前の言動からして請求人が拳銃を所持していたように窺えたことから、請求人が犯人であると信じるに至り、共犯者について請求人が義理などでその名前を出せず自分の名前を出したものであろうと考え、これに合わせて身代わりをしてやろうと思つたことを挙げているところ、Bの証言及びE’弁護士の上告趣意書によると、第一審及び控訴審においてBが右<1>及び<3>の点を供述したことは明らかである。しかし、<2>及び<4>の点をも第一審及び控訴審において供述したかどうかについてみると、これに関するBの証言は、いささか混乱してはいるものの、結局のところ、供述していないように思う、供述した記憶がないというのであり、また、<2>及び<4>の点はBの自白の任意性ないしは信用性の有無を左右する重要な事柄であるにもかかわらず、E’弁護士の上告趣意書では、<1>及び<3>の点を指摘しているだけであつて、<2>及び<4>の点には全く触れておらず、なお、Bの証言から、Bは<2>及び<4>の点についてE’弁護士に打ち明けていなかつたようにも窺われるので、これらを総合すれば、Bは、第一審及び控訴審においては<2>及び<4>の点を供述していなかつたと認めるのが相当である。したがつて、Bの証言のうち、右<2>及び<4>の点は、内容においてあらたなものであるから、新規性があるというべきである。

2  端緒録の本件部分及びCの証言

(一) 端緒録の本件部分には、Z、A’両刑事が、Kに対し、パナマ帽を売つたことにつき聞込みをしたところ、同人において、売つた相手は、やくざ風の二〇歳位の男で、玄人上がり風の女を連れており、常包病院に入院しているような話をしていた旨供述した、との記載がある。そして、Cの証言には、右記載は真実であり、両刑事をよくやつたと褒めてやつた、請求人とJ子がKの店でパナマ帽を買つたと聞いている、という部分がある(もつとも、Cは、そのように証言した後の再尋問の際、買いに行つたのはF、請求人及びJ子の三人である旨、証言を変更したが、これは、変更の理由に合理性がなく、二人連れであつたというKの供述及びFと請求人が買つてきたというJ子の供述とも矛盾するから、信用できない。)。

(二) 確定判決に掲げられているKの供述では、パナマ帽を売つた相手は「特徴ある二人連れの客」であつて、一人はFであると思われるというのであるところ、もう一人については、J子の供述その他確定判決の掲げるパナマ帽に関する供述に照らし、男であると考えざるを得ない。したがつて、端緒録の本件部分に記載されたCの証言で裏付けられているKの右(一)の供述は、確定判決に掲げられているものと全く異なつており、内容においてあらたなものであるから、新規性があるというべきであり、また、Cの証言のうち、右端緒録の記載に関する部分も、第一審及び控訴審における供述に現れていた形跡のないものであるから、同様に新規性があるというべきである。

(三) 「重要犯罪端緒録」は、香川県警察本部が、手持ちの資料に基づき、重要事件の検挙の端緒と捜査の経過を記録したものであるから、前記のKの供述を記載した部分は、同人に対する司法警察官吏の聴取書に準ずるものとみて差し支えなく、同人は既に死亡しているので(これは当請求審の審理の過程で明らかとなつた。)、旧刑訴法三四三条一項一号に準じて証拠能力を有すると解するのが相当である。

3  血液型に関する証拠

(一) 血液型に関する証拠によれば、昭和二一年ないし二三年当時の我が国の法医学の水準で、帽子の汗取りに吸収された汗からその型質が分泌型か非分泌型かを判定することが可能であつたこと、請求人の血液型は、A型の分泌型であること、非分泌型の人の汗には、A、B、Oの型質を多少有するものもあるが、その型質が全く証明されないものもある、との実験報告があることなどが認められる。

(二) 血液型に関する証拠は、第一審及び控訴審において取り調べられていないものであり、また、鑑定書或いはこれに準ずるものであるから、新規性があり、証拠能力を有するというべきである。

三  新旧証拠の総合評価による疑問(証拠の明白性)

前記第二の証拠関係において説示検討したところから明らかなように、確定判決が榎井事件につき請求人を有罪と認定した決定的な証拠は、Bの自白であつて、これを、パナマ帽(証第五号)とそれが請求人の所有物であるなどとするJ子ら関係者の各供述、短刀の鞘とこれに関するBの供述が補強し、なお、目撃者であるH子らの供述もBの自白と一致する限度でこれを支える関係にあり、確定審裁判所は、これらをあわせてBの自白が信用できるとの心証を形成したものと思われるが、新旧証拠につき検討してみたところ、以下のとおり、右認定には疑問がある。

1  確定判決の掲げるBの自白について

前記のとおり、Bは、C警部補の取り調べに対し、長らく否認を続けていたものの、結局、自白したものであり、D’検事の取調べを受けた際、いつたん否認したが、同検事から、今更そんなことを言つても仕方がないなどと言われ、C警部補にも咎められたため、同検事にも自白し、更に、予審判事の取調べの際にも、否認できるような雰囲気ではないと思つたことなどから、それまでの自白に関する書類をもとに聞かれたことをすべて肯定して自白を維持した、というのであるから、確定判決がBの自白として掲げている予審における供述は、C警部補に対してした自白に影響されたものであつて、これと一連するものであるというべきである。

2  Bの自白の信用性

(一) 旧証拠のみの評価による疑問

(1) Bは、二、三日前に下見をしてきたという請求人に誘われて琴平専売局へ煙草を盗みに行つたところ、同所の警戒が厳重であつて、請求人が、煙草を盗んでもそれを運ぶ車もないから隣の被害者方で金品を盗むことにしようと言つたので、これに応じた、という趣旨の自白をしているが、これは、車などの運搬手段を講じておかなけれならないほどに大量の煙草を盗むことを企図して居住地から遠く離れた所へわざわざ出向きながら、運搬手段を全く講じていなかつたということになつて、前後矛盾し、不合理である。また、下見をしたという榎井事件の二、三日前の時期から事件当夜にかけて琴平専売局の警備状況等に大きな変化があつたとは認められないので、下見していながら、現場に行つて初めて警戒が厳しいのに気づき、にわかに隣の被害者方での侵入窃盗にきりかえたということも、唐突であつて、たやすく首肯できない(なお、前記第二、二、2、(二)の手配書には、琴平専売局では榎井事件の四、五日前までに二回煙草を盗難被害があつたので監視員を増員して警戒中であつた旨記載されているから、そういうことが第一審及び控訴審に証拠として現れていたとも考えられる。)。更に、二、三日前というのは八月一八日頃にあたるが、請求人は、前記第一、二、3のとおり、同日午後一一時頃、Bらとともに岩瀬練乳高松工場で盗みをしているのであるから、そういう時期に請求人がわざわざ榎井村まで下見に行つたというのは不自然であり、下見をしたということ自体が疑わしい。

(2) Bの自白では、規模の大きくない琴平の遊廓街で、約四時間にもわたつて、登楼もせずにただひやかして回つていたことになり、また、その後さほどの道のりではないにもかかわらず琴平専売局に到着するのに約二時間を要したことにもなるが、これも不自然な感を免れないことであり、そういう行動を裏付ける証拠もない(この点については、Bにおいて異常というべき右行動を首肯させるようなもつと具体的な供述をしていたことも考えられなくはないが、確定判決及び第一審判決の証拠説明にはそのことが全く記載されていないこと、もし供述していたとすれば犯行の経緯として到底軽視できるものではないからその旨の証拠説明をするのが当然であることなどからして、そのような供述はしていなかつたと推測できる。)。

(3) Bは、自分は黒シャツ、請求人は白シャツを着用していたと断定的に自白しているが、二人連れを目撃したE子は、シャツは二人とも白かったように思うと供述している。そして、このBの自白には何の裏付けもないのに対し、E子の供述は、同人が二人連れを注目していたことや、白と黒との誤認はまず考えられないことからして、信用性を否定することが困難である。

(4) Bの自白では、Bは、拳銃が発射される前に、被害者と対峙している請求人を置いて逃げ、表門に体当たりをした上、戸の合わせ目を縛つてあつた縄を切つて外に飛び出し、その時に拳銃が発射されたことになる。ところが、犯行現場に居合わせたH子は、被害者が拳銃を持つた男と向かいあつているとき、その男の後方にもう一人の男がいるように思つた、拳銃の音がしてから二人が表門の方に逃げた、表門の戸を開けるのに暇取つているようであつた、と供述している。この自白と供述は、表門の戸を開けるのに手間取つたという限度では符合し、戸を開けるためにかなりの音がしたことを示しているけれども、戸を開ける音と拳銃の音の順序の点については全く逆である。そして、Bの自白には何の裏付けもないが、H子の供述は、至近距離で目撃し或いは近くで聞知したことに基づくものである上、検事の取調べ、第一審における取調べ及び控訴審における取調べを通じて一貫しており(なお、警察官に対しても同様の供述をしていたであろうことも容易に推測できる。)、しかも、「パン」という音がしてから「ガチャガチャ」という音がした、というE子の供述によつて裏付けられてもいることからして、信用性を否定することが困難である。

(5) Bは、縄を切つた短刀の抜身を逃走中に捨てたと自白しているが、捨てたという場所を供述しているにもかかわらず、それが発見されていない。のみならず、Bは、右短刀はVから貰つたものであると自白していたが、同人はこれを否定する証言をしている。

(6) Bは、長らく否認を続けていたものであり、結局、自白はしたものの、遅くとも第一審の第三回公判には否認に転じ、以来、それを貫徹している。また、C警部補ら捜査官が、Bを取り調べるにあたり、榎井事件の外形的事実をすべて把握し、請求人の経歴、行状等についての情報も収集していたことは、否定すべくもないところ、Bの自白は、その内容において、このような既に捜査官にわかつていた事実の範囲を出るものではなく、犯人しか知り得ないいわゆる秘密暴露供述といえるものがない(請求人が誘うにあたつて、「ヒラノバイセンに」「モヤがある」「ケンジて来た」という言葉を使つたことになつているが、これらは、それぞれ「琴平の専売に」「煙草がある」「見て来た」という意味であることが通常人にもわかるから、請求人やBらの間だけで通用する隠語であるとはいえず、秘密暴露供述とみることできない。)から、信用性を保障する支えがないといわざるを得ない。したがつて、Bの自白は安定したものとはいえないから、その信用性の判断は慎重の上にも慎重でなければならない。

(7) このように、Bの自白は、犯行の動機、経緯、状況等、自白の根幹に関わる部分において、矛盾、不合理、不自然な点や、関係者の供述との食い違いがある上、客観的証拠による裏付けを欠くものであつて、その信用性についてたやすく払拭できない疑問がある。

(二) 新旧証拠の総合評価による疑問

Bの証言のうち前記<2>及び<4>の点からすると、Bは、C警部補から、請求人が自白した旨、J子が認めている旨及び線条痕が一致した旨の虚偽告知をされるという偽計を用いられ、その結果、請求人が犯人であると思い込み、共犯について請求人が何らかの事情で虚偽の自白をしたものと考え、これに合わせて身代わりになつてやろうと思い至つて、自白したという疑いが濃厚であり、このことと右(一)で検討したところを総合すれば、Bの自白の信用性についての疑問が一層強くなる。

3  証第五号のパナマ帽とこれに関する供述の証拠価値

(一) 旧証拠のみの評価による疑問

(1) 証第五号のパナマ帽は、犯人が現場に遺留したとされるものではあるが、それ自体としては、請求人の犯行への関与(請求人の所有であること)を証明できるものではなく、それが請求人所有のものであるというB、J子及びLの各供述並びに同様のことを窺わせK及びNの各供述があるために、証拠として意味を持つにすぎない。すなわち、パナマ帽の持つ証拠価値は、右各供述に依存しているのであり、しかも、パナマ帽の汗取りに吸収された汗による血液型は不明というのであつて、科学的な見地からパナマ帽と請求人を結び付けることができていない。また、そもそも物の識別ということは簡単にできることではない。したがつて、パナマ帽と請求人を結び付けるには、右供述に高度の信用性があることを要するというべきである。

(2) 右各供述を総合すると、前記のとおり、請求人はパナマ帽を二つ所有していた、一つは請求人がNと交換していて返還を受け自宅に置いてあつた証第六号の帽子であり、もう一つは請求人が常包病院を退院するとき丸亀のKの店でFに買つてもらつた証第五号の帽子である、ということになるところ、請求人は、パナマ帽を二つ持つていたこと及びその一つはKの店で買つたものであることを隠さずに認め、Kの店へはJ子と一緒に行つて買つたが、それは自宅に置いてあつた証第六号の帽子であり、もう一つはNと交換したままで返してもらつていない、と主張している。

(3) このことを踏まえて右の各供述をみてみると、まず、B、J子及びLの各供述は、色合い、折りの型或いは7というサイズを根拠として証第五号のパナマ帽の請求人の被つていたものに相違ないというのであるが、右の根拠とされているもの自体は、パナマ帽の性質上、識別基準としては不確かであるのに、そういう根拠を抽象的に述べているにすぎず、具体的な識別根拠は何も述べていない。そして、同人らは、結局、公判において、警察に強制されたものであるとして供述を翻している。また、Nは、交換したパナマ帽を請求人に返したと供述しているが、これを裏付けるものはない上、公判において、右供述は自分に榎井事件の嫌疑がかけられていたために述べた虚言であるとしてこれを翻している。更に、Kの供述は、二人連れで来たFにパナマ帽を売つたと思うとはいうものの、それが証第五号のパナマ帽であつたかどうかはわからないというのであつて、極めてあいまいである。のみならず、Fはパナマ帽を請求人に買い与えたことはないと証言している。したがつて、右パナマ帽と請求人を結び付ける各供述に請求人の主張を排斥できるほどの高度の信用性があるとみることについては、躊躇を禁じ得ない。

(4) 以上の次第で、証第五号のパナマ帽が請求人の所有物であると認めることには少なからず疑問がある。

(二) 新旧証拠の総合評価による疑問

(1) 端緒録の本件部分に記載されたCの証言で裏付けられているKの供述は、パナマ帽に関する請求人の前記主張に沿うものであつて、証第五号のパナマ帽と請求人の結び付きをいう確定判決掲記のK、J子、L、N及びBの各供述の信用性に一層の疑問を生ぜしるものといわざるを得ない。

(2) 血液型に関する証拠に徴すると、証第五号のパナマ帽の汗取りに吸収された汗の検査で血液型が不明であつた(これは当請求審の審理を通じて明らかである。)にしても、更に型質が分泌型か非分泌型かを究明する方法があつたのであるから、これを行つておれば、右パナマ帽が請求人の被つていたものではないことが科学的に判明した可能性があつたというべきであり、また、右のとおり血液型が不明であつたのは、その汗の型質が非分泌型であつたためである可能性があつて、右パナマ帽を着用していたのは、非分泌型の人であり、分泌型である請求人ではなかつたということも考えられるというべきである。したがつて、血液型に関する証拠は、分泌型か非分泌型かを究明していない点において確定審に重大な審理不尽があることを示し、右パナマ帽が請求人の所有であることにつき科学的な見地から大きな疑問を投げかけるものというほかない。

(3) これらと右(一)で検討したところをあわせれば、証第五号のパナマ帽と請求人の結び付きについて、更に疑問が深まり、ひいては、Bの自白の信用性そのものに一層大きな疑問を生ぜしめるというべきである。

4  その他

旧証拠については、以上に検討したほかにも、請求人が犯行に使用したとされる拳銃の入手経路や所在が判明していないこと、請求人及びBのアリバイもあり得ないではないこと、請求人の否認はまことに徹底したものであり、その反面、請求人は、軍隊で拳銃を使つていたとか、Kの店でパナマ帽を買つたという、自己に不利な事実を率直に供述しているので、その否認を単なる否認のための否認であると断ずるのが甚だ躊躇されることなどの疑問がある。

5  結論

以上のとおり、新証拠としては、多数ある中で、Bの証言のうち前記<2>及び<4>の点、端緒録の本件部分に記載されているKの供述、これに関するCの証言及び血液型に関する証拠のみを取り挙げて、新旧証拠の総合評価をしてみたが、それだけでも、確定判決が榎井事件につき請求人を有罪と認定した証拠には幾多の疑問があつて、右新証拠が確定審の公判審理中に提出されていたならば、そういう認定には到達したかつたであろうと判断せざるを得ないから、右新証拠は、確定判決の右認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠にあたるというべきである。

第五  結論

そうすると、弁護人らのその余の主張につき判断するまでもなく、確定判決の榎井事件に関する部分については、旧刑訴法四八五条六号所定の無罪を言い渡すべき明確な証拠を新たに発見したときという再審理由があり、本件再審請求は理由があるというべきであるから、旧刑訴法五〇六条一項により、主文のとおり決定する(なお、本決定は、確定判決のうち榎井事件に関する部分についてのみ再審を開始するものであるが、確定判決では、榎井事件と窃盗等事件を併合罪として処理し、一個の刑が言い渡されているのであるから、決定の主文としては、「本件について再審を開始する。」ということになる。)。

(裁判長裁判官 村田 晃 裁判官 山脇正道 裁判官 湯川哲嗣)

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